猿猿日記

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園崎魅音と詩音の入れ替わり(鯛事件)は園崎家の陰謀説

 

 

ひぐらし世界のルールとして多くの世界で発生する事象は何者かの強い意志によるもので極めて再現性が高くなる。→園崎魅音と詩音の入れ替わり(刺青を入れた日、鯛のアレ)は観測している中では賽殺し編以外のすべての世界で発生している為、魅音(真詩音)の鯛を食べたいという気まぐれな感情に因るものではない。

 

 

魅音と詩音の性格について

魅音(真詩音)は姉への負い目から完璧主義者となっており、一人で抱え込んでしまう癖がある。また、努力家で能力も高いものの想定外の事態には途端に弱くなる。園崎家頭首としてのプレッシャーやしがらみに囚われる性格。男勝りだが実は乙女チック。人懐っこく宴会では他人を立てたりと気配り自体はできる方。(尚、言動は空気が読めない部分もある)配慮も独断ですることが多く、それが逆に仇となるケースも数多い。(罪での死体隠しなど)沙都子による人為的な発症がなければ唯一、自然発症がない人物であり、目明し詩音の凶行に対しても反撃することはなかった。(発症して反攻していたら訓練差もあり勝っていた可能性が高い。業卒では詩音がカケラの記憶を継承している為、改心して弱体化が入っていた可能性もあるが)

 

 

対して、園崎詩音(真魅音)は普段は清楚なお嬢様のような見た目とは裏腹に激情家であり、症候群が発症していない段階で殺人が選択肢に上がったり暴言を吐くなど粗暴な面がある。幼少時代では数多くの暴行事件を起こして警察に捕まってるのでまぁ、文字通り粗暴である。年長でありながら賽では梨花苛めに積極的に加担している。認識された時間は極めて短いのに悟史への境遇からくるであろう依存的執着は度が過ぎており、既に彼女面という悟史にとっては恐怖案件である。目明しでの沙都子への振る舞いといい悟史への言動といい自己中心的な性格であることは間違いない。澪尽し編で言及されている通り、魅音が他人を立てることに対して貶めしている事から当然、彼女はそのような態度は取れないものと思われる。

 

真の頭首として相応しい冷徹な性格であることが伺える。過激な行動に対するポテンシャルは極めて高いといえよう。

 

 

➂園崎家の方針について

鬼婆の発言からして園崎家は村八分等に対して村そのものの瓦解を防ぐ為に主導せざるを得なかった時もあるが連鎖する雛見沢の悲劇に対しては憂いており、古い前時代的慣習ごと一掃してくれる若き人材が流入してきてくれることを望んでいました。高速道路建設云々や魅音の進路(雛見沢に知見を持って帰りたい)もあるように閉ざされた世界から外部に開けた開放的な世界に転換しようとしている様が伺えます。園崎家自体が血脈の力と村への貢献心もまたそれらの為の準備段階と言っても過言ではないと思います。

 

 

結論からすると園崎家上層部による故意の犯行ではなかろうか?詩音(真魅音)はその性格からして過激で冷徹な行動はできるものの新しい風を求め、古き習慣の変革を心の奥底では願っている園崎家にとっては不要な態度である。また、他人を慈しみ、尊重し、立てる事ができない彼女はこれからの新時代の頭首に相応しくないと判断されたのではなかろうか?歴史で例えると能力も極めて高いが残酷な項羽ではなく、本人の能力自体は低いものの人望があり、一緒に歩める劉邦に軍配が上がったみたいな。

 

 

余談  魅音と詩音の名前について

 

園崎家の頭首には継承する度に必ず鬼の名前がつけられる仕組みになっているようです。魅音にも鬼がついていますね。一方、詩音には寺がつけてある様に本来、掟として双子が産まれたら一方は首を絞めて処理する筈が鬼婆らの所存によって生きながらえたもののいずれは寺(実際はルチーアで実質、幽閉)に入れることからその名前がつけられました。が、鬼婆は厳格で頑固なところから誤解されがちですが、実際はなんだかんだで心やさしい人間です。園崎ブラフによって村で時たま発生する外的要因によるブラックな事象を自分らが起こしたと主張したり、村八分にした沙都子を憂いたり、気に入った人間には助力を惜しまないなど。園崎組ならいざしらず園崎家としては一線自体はあるものの殺人そのものには忌避があると思っているし鬼婆にはできないんじゃないんでしょうか?そういった意味ではやはり、魅音(真詩音)に似てるんだと思います。案の定、首に手をかけたけど結局はやめてますしね。雛見沢の変革を求めているのも彼女です。そんな彼女が前時代的な理由から名前をつけるでしょうか?僕はそうは思えない。大方、鬼と付く数少ない名前と響きが似ているからといった様な優しい理由からだったのではないでしょうか?名付けるのに凄い時間をかけてうんうんと頭を捻らせていたのではなかろうか?

 

まぁ、メタ的に言えば鬼と詩は昔からそれなりにシンパシーが高く、昔の小説の題名にも扱われている程です。魅力と詩吟で対にしたのではないでしょうか?雰囲気的にもそんな気がします。魅了って昔から魔が持つ力だったりしますからねぇ。