猿猿日記

主にゲームに関して呟きます!楽に攻略することをモットーとしています

【考察】ギニュー とボディチェンジ【ドラゴンボール

ギニューは何故、悟空の身体を上手く操れなかったのか?

 

作中でも言われていたとおり、慣れていない身体だからその実力を発揮しきれなかったのでしょうか?私はそうは考えていません。

 

仮にそうであるならば、ギニューはあの様な反応を見せないはずです。大きく戦闘力を落としたのはまるで、初めてかの様な反応を見せています。では、ボディチェンジ自体が初めてだったんじゃないか?と思われるかと思いますがそれは違います。ギニューは、ボディチェンジを何度も使用しています。あの身体そのものが本来の姿ではないのです。

(ギニュー自身の台詞や部下のジースが驚かない。激神フリーザでの特集記事などから)

また、タゴマとチェンジした際にも当時のギニューよりも遥かに強い筈のタゴマの肉体を瞬時に引き出していました。では、何故、悟空の身体に限って上手く使えなかったのでしょうか?

 

(余談ですが、フリーザとチェンジしない理由は特殊能力無効化設定によるものではないでしょう。あれはそもそも作品内でも矛盾が多い。

遥かに強いタゴマやそもそも悟空と変われたり、ブルマ→ピッコロに移ろうとしたりする事からその設定を無視できるものだと思います。単純にフリーザへの敬意からだと思われます。)

 

それは、「肉体」と「精神」です。

 

 

 

 

悟空は、元々 凶暴 (母親のギネは心優しいものの種族的な特性に引っ張られたものだと思われる)by 孫悟飯。手がつけられない程であったのが崖に落ちて頭を打ってからは穏やかになったと述べられています。ベジータとは違って言わば正当な方法で心変わりしたわけじゃないんですよ。(其処を追及した二次創作で悟空が敵になるドラゴンボール真 凄く面白いけど続きさん生えてこないかなぁ)

 

さて、悟空本人はその状態で安定しているんだと思います。現にS細胞が増えたり、パオズ山の清流等豊かな自然という環境面も相まって身勝手の極意に覚醒したのもそれがきっかけでしょう。他者が彼の精神に脈絡もなく触れると一種の混乱状態に陥るのではなかろうか?

 

言わば、ナルトの様なものではなかろうか?彼は九尾を身体に宿していた為、チャクラコントロールが難しく、簡単な術でさえできなかったほどです。

 

悟空による独自の気のコントロールが必要になってしまうんだと思います。だからこそ、悟空は教えられた技を直ぐに習得したり、いくら気が比較的コントロールしやすい超サイヤ人ブルーとはいえ、衛宮士郎の如く少しでもズレると死ぬというリスクのあるブルー界王拳を実現させてきたのではなかろうか?

 

 

 

ドラゴンボール超の世界観では、戦闘民族〈サイヤ人〉である事のアドバンテージは大きく下がりました。勿論、ベジータがベルモッドに反論した様に短い闘いの中で大きく成長する事ができるなどの利点はあります。が、他宇宙の戦士や破壊神・天使らと関わり、サイヤ人が必ずしも肉体面で最強とは言えなくなってきたのです。例えば、天使は常に中立であるという代償はあるものの常時、高精度の身勝手の極意であり悟空らを遥かに凌駕した実力を持っています。破壊神ビルスは、完成ブルーやブルー界王拳、身勝手の極意や我儘など次々強化されていく悟空とベジータを寄せ付けない実力として設定されています。自動で上方修正されてるとか巷では揶揄される程です。ブルー界王拳にビビる、ゴッドはビルスの6割程であるという情報から大したことはない(アニメ版)とする考えもありますが如何なものでしょうか?6割に関しては全力のビルスではないでしょう。全力と本気は違うみたいなものです。(あの時は本気ですらなかったと思いますが)

 

悟空のブロリーのが強い発言は、ビルスの全力を知らないからでしょう。我儘を含めた破壊神の技を会得しているビルスが弱いはずがありません。また、悟空自身もまた、まるでSAOのキリトの如く時々、忖度と申しますか格下相手でも技を認めたり、驚いたり、実力を評価する時があります。ビルスも同様でしょう。

 

ジレンやモロ、グラノラ、短期間で追いついてきたフリーザなどなど枚挙に暇がありません。

 

ブラック編で語られていたように肉体をもう極限まで鍛えている訳です。これから先、重要になるのは〈精神〉。つまり、気の扱い方によって乗り越えていくという事がドラゴンボール超のテーマではないのでしょうか?